2009年03月20日

魚話その152 ぶろっほっほっほ(後編)

●左向きであること


ようやく最後.
だいぶん空いてしまい,気付けば,5回分くらいのネタの取材が済んでしまった.
まずはウェブ上で見つけた『魚図鑑に左向きが多い理由』なぞ.

理由1.最初の本格的な魚図鑑(Blochの図鑑)が左向きだった
…お手本図鑑として重宝され,皆がそれに倣ったという説らしい.

理由2.文字の記述方向に合わせた
…記述方向に頭を向けると,『流れ』を感じさせることができ,日本は(縦書きだと)右→左へ書くので頭が左になる.

理由3.本の綴じ方にあわせた
…理由2同様に和書は右綴じが多いので,頭が左側だとページ進行に沿っていて『流れ』を感じさせることが出来る.

理由4.食事の盛り付けが左向きだから
…日本の魚は基本的に左向きであり,それに合わせると違和感がない.

理由5.右利きの人は頭を左から描く方が楽
…最初に大事な部分(=頭)を描き,その後細かいパーツが無い体へと流れるその動きには,右利きの場合,左から書き上げていく方が楽という説.

理由6.心臓の位置が左寄りだから
…心臓が左に寄っているので,左側面を解剖した方が観察しやすい.

この6つが有名どころか.
いずれも『ああなるほど…』とうなずける説明ではあるが,実際は,図鑑の左向きは日本だけではない.
しかも現在よりも西洋の文献が浸透していないであろう江戸時代の書籍を見ても右向き描写が存在したり,欧米系の書籍における左向きの説明ができない.


栗氏魚譜2.jpg
図1.左向きに描かれた,江戸時代の魚図鑑(栗氏魚譜;クリックすると拡大)


栗氏魚譜1.jpg
図2.同じ図鑑の中で右向きに描かれている魚(クリックすると拡大)


さらに,数えるほどの魚種しか調べてないのでそんなに大きなことは言えないが,魚類の心臓は、『明らかな左寄り』と言うよりは正中線に沿っている気がする.
図3は夕食のために捌いていた魚を撮影したものだが,苦手な人は注意されたし.
もっとも,心房・心室がそれぞれ左右にずれている種もいるので,それを踏まえてのことだろうか?
ただし,心臓をひとかたまりとして見れば,やはり真ん中にあると言えそうだが….


心臓の位置.jpg
図3.腹側から見た心臓の位置(a.ワカサギ,b.ウナギ,c.キチジ;スケールバーは5mm;クリックすると拡大)


状況はそんなに単純ではなさそうだ.

魚の向きと実生活を考えてみる.
食生活や利き手など,生活習慣のような直接図鑑制作に関係がない部分に刷り込まれている可能性は高い.
ナイフとフォークを使う場合も箸を使う場合も,魚を押さえつけるのは利き手と逆側であり,裏返すにしても押さえつけるにしても,胴体と密にくっついている頭の方が,尻尾よりもしっかりと掴みやすい.
右利き人口は5倍近く多いとされており,(家庭料理レベルで)盛り付け方向に決まったルールが無い場合,尾頭付きの魚は頭を左向きにしておいた方が無難ではなかろうか.
また,右利きの人間が筆を左から右へ動かすことは,描いた部分を手で擦る頻度が低くなり,イラストが汚れるのを防ぐことが出来るので合理的だ.
まぁこんな感じの経験が著者に影響を与えた可能性はないだろうか.
もっとも,どっち向きで描いても良いという状況になった時に,『じゃあ…左向きかなぁ…』程度の効果しか想定していないが.

ところで,情報量の多い文章は複数の人間が分担して執筆することが多く,そのような場合文体やら描画方法など,きちっと決めてしまった方が楽だ.
窮屈に感じるかもしれないが,細かいことまで理に適った体裁で決まっていればいるほど,赤の他人と共同作業を行う際には余計な混乱を避けることができるのである.
新たな図鑑を刊行する際にも,ゼロから考え直すよりは,先達の体裁に倣った方が楽なのは明らかだ.

そんなわけで,図鑑左向き多数派の背景は,偶然引用に用いられた図鑑が左向きに偏り,大量情報掲載に伴う体裁の画一化によって,偏りに拍車がかかったのではないだろうか・・・と僕は考えている.
兎に角,様々な時代・場所で,独立に図鑑が作成されていくことを考えれば,左向きに偏る理由は,冒頭の理由を始め,『イラストが綺麗』『記述が正確』『情報量が多い』等々,いろいろあるのだろう.
ウェブ上で論じられているように,一つの理由だけで説明しきれるとは思えない.

とりあえずお茶を濁すような感じであるが,150回記念に纏わる左向き優勢ネタはこれで一時完結とする.
将来的に,左右混合図鑑に関する考察もするかもしれないが,具体的な時期は未定だ.


※今回使用した図1と図2は国立国会図書館に使用申請し,許可を得ています.
無断複写はマズいので,必要な人は各自国会図書館に申請してください.



参考文献
※左右チェック以外に使用した文献
魚類解剖学 (落合 明,緑書房)第1版,p137-140
観賞魚解剖図鑑 (落合 明 他,緑書房)第1版,p41-90
新版 魚類生理学概論 (田村 保 他,恒星社厚生閣)第1版,p58
※左右チェックに使用した文献→SUPPLY.pdf


参照ウェブサイト
『大分週間釣り太カ』→参照先
『木下眞二のホームページ』→参照先
『足利工業大学 中山研究室ホームページ』→参照先
『Dolphin Blog』→参照先
『Yahoo!知恵袋』→参照先
『ヤッちゃんパパ奮闘記』→参照先
posted by osakana at 23:36| 埼玉 晴れ| Comment(5) | TrackBack(0) | 魚話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
osakanaさん、こんばんは。

久しぶりの更新ですね。多忙な事と察します。
学術的根拠は一切抜きにして、「また,右利きの人間が筆を左から右へ動かすことは,描いた部分を手で擦る頻度が低くなり,イラストが汚れるのを防ぐことが出来るので合理的」の推察は極めて納得できます。尾鰭を左に書く事もできましょうが、頭から描くほうがなんとなく自然という気がします。

ところでBlochというのは魚学では随分有名な方なのですね(汗)最近何度か名前をみる機会があり、osakanaさんが偉い買い物を思い切ってされた事情がよくわかりました^^

Posted by shochi at 2009年03月21日 06:40
お久しぶりでございます。

>右利きの人間が筆を左から右へ動かすことは,描いた部分を手で擦る頻度が低くなり,イラストが汚れるのを防ぐことが出来るので合理的

実際のところ、スケッチされていた時代がどうなのかは分からないですがね…
ただ、これは、大学時代の実習で、結構な数の解剖スケッチを描かされた経験が元になっています。
鉛筆によるスケッチが指定されていたので。

これは完全にプライベートでのスケッチですが、こんな感じで描いてました。
http://osakanabanashi.seesaa.net/article/8890934.html
黒い部分は塗りつぶしてはなく、点描で描きます。
なので、必要以上に時間がかかり、擦れ、右手小指の付け根が汚れてくるんですよね。
ただ、知り合いの左利きの数人は、ティッシュを敷くなりして汚れを防ぎつつ、同じような方向で描いていた記憶もありますが。


>最近何度か名前をみる機会があり、osakanaさんが偉い買い物を思い切ってされた事情がよくわかりました

身近に感じられる場所にいらっしゃるのがうらやましい限りです。
とはいえ、図書館や大学・博物館のように貴重書デジタルアーカイブを構築している場合はいいですが、そうではないことも多く、Blochのように復刻版を入手できるだけ良しとしないといけないのかもしれませんね。
いずれにしても自宅にいながらいろんな調査ができるようになったのは便利ですね。

しかし、ひねくれもののワタクシとしては、フィールド系取材をそろそろ考えてもいるのですが。
Posted by osakana at 2009年03月21日 20:44
>点描で描きます

そうだ!思い出しました。中学校の生物の先生は生物学が専門だった為「点描スケッチ」への思い入れがおありで、一度授業で全員やらされたことがありました。
鉛筆なら容易に塗りつぶしができるのに、何故点なのかは覚えていませんが、これは手間隙かかりますね。描かれたものも、愛着がでてきて額にいれて飾りたくなりません?って研究者が毎回それをやっていたら、額代が物凄い量になりそうですが(笑)

Posted by shochi at 2009年03月22日 00:13
>研究者が毎回それをやっていたら

実際はどうでしょうねぇ.
論文用に何らかの簡易スケッチをすることはあっても,全体像を載せると言うことはあまりないですねぇ.
分類や形態の計測を専門におこなっている人は別として.

どちらかというと,学生実習でやらせた理由は,細部まで観察しないと絵を完成させることができないという,半強制的な観察にあったのだと思っております.
写真で撮影しただけだと,光景が左から右へと流れていってしまいます故.
ちなみに,コピペをせず,きちんと自力で文章を書けという目論見の元に,『レポートは手書き・ボールペンによる記述』を課す実習もありました.
非生産性の訴えが絶えない条件ではありましたが,理解している人とそうでない人いずれにも経験させるという意味では,まあアリの手法だったのかと思います.
面白いので,一度はやってみたいですね.
Posted by osakana at 2009年03月23日 20:49
メールしてから、かなり時間が経ってしまいましたが、この話題のページをリンクさせて頂きました。
私がこの話題を書いた頃(10年前)は、情報の入手先の明記を重要視していなかったので反省しています。
なんだかいい加減な情報の後始末に利用した形になっていますが、ご容赦下さい。今回は有り難うございました。
Posted by moon-jelly at 2009年05月24日 18:54
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/115966114

この記事へのトラックバック