2005年10月13日

魚話その38 仲間はずれは誰だ!?

●分類の問題


専門外の僕がこんなことを書くのもどうかとは思うが、一応研究を進める上でのツールとして使ったりしているので、その際に生じた疑問なぞを(僕の中では未解決)。

下の図は、簡略化した魚である。
分類.jpg
ここで仲間分けをする場合、どのような仲間分けができるだろうか?

その1(形で分けてみる):魚Aと魚Bが1つのグループ、魚Cが1つのグループ
その2(色で分けてみる):魚Aが1つのグループ、魚Bと魚Cが1つのグループ

この『見た目』を用いたグループ分けは、古くから用いられてきた方法だ。
しかし、形と色はどちらが優先されるのだろうか?

1986年、天才キャリーマリスによりPCR法が開発されたことで分類方法に新たな選択基準が加わった。
そう、DNAである。
DNAは体内の細胞中に存在し、基本的に一個体内の全ての細胞が同じ配列を持つ。
異なる種のDNA配列がとても似ていれば近縁、あまりにていなければ離れた種とする。
おおざっぱにいってしまえば、そんな感じの分類法だ。

同じ個体のDNAであれば、誰がどう調べても同じ配列が得られる(再現性がある)。
人によって赤っぽく見えてたり、凹んで見えたり、緑色っぽい方が毛深さよりも重要だったり、そういう人間の解釈が介入する余地が少ないのだ。

しかし、DNA配列比較は無敵ではない。

1.比較したい生物間で、ある程度共通して持っている配列がないと厳しい
  『どれだけ似ているか?』を調べるので、全く異なる配列を比較しても意味がないのだ。
  テストで全員が満点や0点だったら誰がどこまで理解できてる(ない)のかが分からない。
  極端に違ったり似ていたりすると、比較は厳しいのだ。
 
2.比較するのに妥当な配列かどうかは、結局人間の解釈に委ねられる
  実際問題として、分類に用いるDNA配列というのはある程度決まっている(らしい)。
  1の問題を回避しつつ、いろんな生物で共通して持っているもの。
  例えばある種の酵素やある種の機能を持ったタンパク質の情報を持った配列だったり。
  しかし、その配列を用いる事が適切なのかは人それぞれの解釈に委ねられる。
  DNAの配列に客観性があるかもしれないが、配列比較には主観が介入するのだ。

3.比較したい生物からDNAが取れないと、まったくもってお手上げになる
  これは致命的である。
  例えば化石など、もはや太古の遺物からDNAを取り出すことはほぼ無理である。
  化石のDNA抽出を研究をしている人の講義に出たが、難航しているようだ。
  ある程度新しい化石ならば不可能ではないが、ジュラシックパークには程遠いとのこと。

というわけで、何でもかんでもDNAの配列比較のみで済む問題ではないようだ。
確かに、DNAを取り出すときだって、その生物がなんなのかを『見た目』で判別してからやっている。
『見た目』を用いたグループ分けは、問題があるかもしれないが、無くなったら確実に困る方法の一つだと思う。
そもそも分類をした後に気になるといえば、どんな進化をしたかということになるわけで、そうすると、今度は化石とかも関与してくるかもしれない。
そうすると、必然的に『見た目』の情報に頼らざるを得ないわけで…
だから分類するという行為には現在もなお様々なアプローチが存在するんじゃぁないだろうか?
う〜ん…難しい…

分類の専門家さん、なんか(優しく)コメントくださいm(_ _)m


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posted by osakana at 07:03| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 魚話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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